2012年9月11日火曜日

石井裕「The Last Farewell」(TEDxTokyo 2011)

MITメディアラボの石井裕教授による "The Last Farewell" と題された講演より(注)
私の最も好きな詩人のひとりである宮沢賢治は、東北地方岩手県の出身です。私は夜行列車を使って何度もそこを訪れ、幾度となく彼の詩を読みました。 
私は Twitter でたくさんの人をフォローをしていますが、一番好きなのは「死んだ詩人」です。Bot ですね。ツイートがとても凝縮されていますし、とても刺激的だからです。(スライドに「宮沢賢治 Bot」のツイート画面が写し出される)宮沢賢治のこんな詩句のように。 
「あめゆじゆとてちてけんじや」
「ありがたうわたくしのけなげないもうとよ」 
すべての言葉が私を打ちのめします。なぜわたしはこのメッセージを受けとったのかと考えさせます。とても深い意味がそこにあります。偶然というものは存在しません。すべてに理由があり、必要性があり、深い意味があります。これは私の創造性の訓練なのです。 
問題はこれらがすべて、12ポイントのフォントによる小奇麗なものだということです。私が花巻の宮沢賢治記念館で見た手書きの原稿は、それは素晴らしいものでした。(スライドに宮沢賢治の「永訣の朝」の原稿が写し出される)
そこには賢治の体、精神、苦闘、それらすべての痕跡がとどめられていました。書いては書き直しまた書き直した跡、あるいは黄色く変色した紙、紙面に飛び散ったインク…。 
賢治は最愛の妹であるとし子を失ったショックから、その悲嘆を表現するという手段では、立ち直ることが出来ませんでした。しかし彼の詩は個人的な悲嘆ではなく、宗教的なレベルへと、昇りつめています。これは驚くべきことです。
手稿によってこれらの過程を見ることができたのは、私にとってたいへんな喜びでした。しかしそれを見る前に私が知っていたのは、奇麗に印刷された本だけだったのです。 
大量生産や標準化のためには、本やフォントは素晴らしいものです。インターネットも同様です。しかしそこには何かが失われています。その失われているものがこれ、物理的な存在としての痕跡、あるいは精神の苦闘の痕跡なのです。それは芸術にとってとても大事なものなのです。 
私は芸術家が立ち上がってこう抗議するのを望んでいます、「なぜ君らは最も大事なものを取り除いてしまったのだ? なぜ君らは洗浄された最終成果物だけを差し出すのだ?」と。 
私たち受け手も本当は立ち上がってそう言うべきなのです。これらの痕跡が私たちの想像力を刺激し、それによって芸術は完成するのです。あなたの想像力があって初めて、芸術は完成するのです。ですから俳句や短歌は、ハイビジョンの映画よりも、もっともっと力を持っているのです。これが私の言いたいことです。

(注)2011年5月21日の「TEDxTokyo 2011」で行われたこの講演の模様は、YouTubeで見ることができる。
TEDxTokyo - Hiroshi Ishii - The Last Farewell - [English] - YouTube
ここで引用した一節は8分17秒付近から。
TEDxTokyo - Hiroshi Ishii - The Last Farewell - [English] - YouTube(8分17秒から再生)
この講演で使われたスライドは石井裕教授のサイトで見ることができる。
2011-05-21 TEDxTokyo Hiroshi ISHII Presentation
またここで引用した一節と同様の趣旨を展開したエッセイがMITのサイトで公開されている。
MIT Media Lab: Ishii Momentum