2012年9月27日木曜日

鳥海修「明朝体について考える」@神戸芸術工科大学


  • 特別授業「明朝体について考える」(新科目「組版デザイン論」開講記念)
  • 特別講師 鳥海修 TORINOUMI Osamu(書体設計士、字游工房代表、京都精華大学特任教授)
  • 2012年9月26日(水)15:50~17:50
  • 神戸芸術工科大学 7101教室

明朝体は日本の印刷文化を支えてきたといっても過言ではありません。
したがって書体を設計する私としては、
明朝体は必ず登頂したい大きな山です。
高いだけの山ではなく大きな山で、
はたして頂上がどこにあるのかもわからないような大きな山です。
私はこの山に登りはじめてから33年が過ぎました。
まだ頂上は見えていません。 
でも遠くに朧げながら見えてきたような、 
……いやいや気のせいかもしれません。
それにしてもなぜ明朝体なのか、
なぜ私はこの山に登ったのか、
明朝体とはどういう書体なのかを
私の経験と知識をもとにお話しします。 
ついでといっては何ですが、
実際に明朝体の仮名を溝引きという手法で書いてみます。
おたのしみに。 
(特別授業ポスターより)

講義要旨


学生時代に授業で連れて行かれた毎日新聞デザイン部での活字母型デザインの現場を見て、初めて活字が人間の手によって作られていることを意識。当時在籍していた小塚昌彦氏の「日本人にとって文字は水や米のようなもの」という言葉を聞き、活字設計の世界に進むことを決意した。

日本の活字文化においてもっとも「水や米のようなもの」といえるのが明朝体である。

明朝体においては漢字、ひらがな、カタカナ、それぞれのデザインが異なっている。しかし私たちは普段それを意識することはない。これはなぜか?

日本における明朝体活字の源流は京都黄檗宗萬福寺の鐡眼一切経版木にある。しかしこれはお経であり漢字のみで構成されている。漢字かな混じり文の整版で使用されたのは和様やお家流の漢字であった。

明治に入り明朝体活字と活版印刷が中国から輸入される。このときから漢字と融和するひらがなの明朝体活字を作成するための試行錯誤が始まった。

日本語の明朝体活字がほぼ現在の形になったのが明治30年頃。それ以降明朝体活字は大きな進化はしていない。

明朝体のひらがなのデザインは筆文字を基にしている。しかし筆を持つ人はだれもいなくなり、現在ではひらがなのデザインの善し悪しを判断できる人がいなくなった。

現在携帯電話、スマートフォン、タブレット等で使われているフォントはすべてゴシックかつ横書きである。現在の解像度では明朝体漢字の細い横棒を表現できない。

私はこの明朝体という山を登り極めるしかない。しかしこれからの日本語における活字を設計するあなた方にはもっと別の道もあるはず。それは例えば横書きに適したひらがなの設計であるかもしれない。それは1年や2年、あるいは20年や30年でできるものではないだろう。平安時代の女性たちが女手といわれたひらがなを生み出すのにかかった年月と同じだけの年月がかかるはずだ。


補足


講義では日本における文字の借用(漢字)とそこから日本の独自の文字(ひらがな)が生み出される過程等についても、多くの図版を交えて解説が行われた。
また鳥海氏が代表を務める字游工房による最新の取り組みとして、「文麗仮名、蒼穹仮名、流麗仮名、文勇仮名」および「嵯峨本フォント」についても紹介が行われた。
※文麗仮名、蒼穹仮名、流麗仮名、文勇仮名 … 株式会社キャップスの依頼により、より限定された用途での使用を前提に開発された書体。
※嵯峨本フォント … 江戸初期に本阿弥光悦等によって作られた古活字本「嵯峨本」の活字をフォント化したもの。永原康史氏・鳥海修氏が中心となった「嵯峨本フォントプロジェクト」によるもの。


関連リンク


字游工房
株式会社キャップス